渋谷桜ヶ丘を歩く

初投稿です。

 

渋谷桜ヶ丘のライブハウス、渋谷club乙へ最後のお別れをしてきた。

今月いっぱいで営業を終了する乙は、移転先は決まっていないらしい。

久々に降りた渋谷駅は、もう今までの記憶を辿っても右も左も分からないくらい様変わりしていた。

 

東横線のホームとその先には巨大なビル、渋谷ストリームができていて、改札先にはまた次のさらに大きなビルが建設中だった。

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桜ヶ丘のJR線付近一帯は、現在はもはやシャッター通り化しており、木の板が窓に貼ってあり、ネズミ駆除中と書いてあったり、ASG(ありがとう桜ヶ丘)というロゴのポスターが貼ってあったりした。

スプレーで描いたいたずら書きが、いたるところに目につく。

今となってはそのいたずら書きすら人の居たぬくもりのようなものに感じた。

 

渋谷には上京してから10年ほどバイトで毎日通っていて、ライブもよくやっていた街なので、どことなく愛着がある。

 

今日は息子のライブハウスデビューだ。初めて息子を連れて訪れた最後の乙は皆んなの寂しさが集まって、でも久々の再会に皆喜んでいた。

ライブハウスで活動を始めたのは2004年。乙はその頃からずっと出ていた。

壁や入口やトイレには、タバコのヤニで黄色く変色したフライヤーやパスで埋め尽くされ、少し薄暗い蛍光灯の明かりが懐かしい。

 

出産後は殆どライブハウスには行かなくなった。でも乙のこの入口やトイレに入ると、深夜にレコーディングしてたことや、本番前の緊張感など昨日のことのように思い出した。

 

初めてのライブハウスに息子もなんだか落ち着かない様子で、ステージ前に座って音楽を聴いたり、フードの唐揚げを食べまくったり、私の友達に人見知りしたりしていた。

 

しばらくすると、息子が外へ出ると言ったので、桜ヶ丘の街を少し散歩することにした。

一体これだけの街をまるごと変えてしまうというのはどういうことなんだろう。

一体何人の人の人生を変えたんだろう。

この場所にずっと住み続ける、働きつづけるつもりでこの街で生きていた人がどれだけいるんだろう。

こんなに沢山の店やビルのあった場所に居た人たちはどこへ行ったんだろう。

 

バイトの休憩中、いつも歩いていた道や、楽器屋も全部なくなる。

 

そんな道を息子と初めて歩く。

 

もう二度とこの道を歩くことはないだろう。

 

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昔は乙の前に座って、対バンの人と喋ったり、若気の至りでタバコなんて吸っていた頃は、一人で黄昏てたりしていた。

今はそこに息子と座って手作りのしらすおにぎりと、野菜たっぷりの卵焼きを食べさせている。

 

息子は電車が通る度、バイバーイ、バイバーイ!と大声で手を振っていた。

 

その声はずっと忘れないでいようとなんとなく思った。

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ひとつ面白かったこと。

 

ライブ中、息子がうんちをした。

楽屋でおむつを替えて良いということで、楽屋でおむつを替えていると、突然息子が「アンパンマン !」と叫んだ。

「なんだ?」と思って見ると、壁のものすごいヤニ焼けしたフライヤーにアンパンマン のようなものの絵が描いてあった。

何のフライヤーかはよくわからないが、確かにそれはアンパンマン らしきものだった。

以前は全くそのイラストがアンパンマン だということを気にも止めることは無かったが、今はアンパンマン に対してとても敏感に反射するようになっているので、「ほんとだ!」と思わず喜んでしまった。

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そうこうしているうちに、対バンなどでたまに顔を合わせていた、女性が来た。

彼女もライブハウスで活動していたバンドマンだったが、今は1歳の息子を連れていた。

誰が想像しただろうか。彼女と乙の楽屋で一緒にオムツを替える日が来るなんて。

顔を合わせても軽く挨拶する程度だった彼女だが、おかあさん同士になった途端、なんだか同窓会でそんなに仲良くなかったクラスメイトと割と上手く話せる、ような感覚で自然に話せるから不思議だ。

私の精神状態も、随分変わったものだな、と改めて自覚する。